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結構好き勝手書いてるよ 
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先日雑談イプをしたときに万寿さんの創作はどうしてあのように過酷な状況に立たされているのかという質問を頂きまして、私はヒューマンドラマが好きだからかなぁと答えました。

ヒューマンドラマとは映画のジャンルの一つなのですが、「どう生きるのか」をテーマにしていることが多いです。勿論「どう生きるか」だけではなく人間愛を描けばヒューマンドラマに当てはまると思うのですが。

で、どう生きるかというのはどういう選択をするのかというのが一番端的に描きやすいのではないかと思います。そう意識して漫画を書いていたわけではないのですが、改めて考えてみるとそういうことなんだろうなぁと。
私自身は優柔不断で、自分の決断にいつも自信が持てずに後悔ばかりしています。
そんな大層な決断ではなくても、ハンバーグではなくエビフライを注文すべきだったのではないか。少し高くてもあの文房具を選ぶべきだったのではないかなんてレベルのことすらずっと覚えていて、今度来たときは絶対にエビフライを頼もうなどと思っています。
でも逆を選んだとしてもああ、ハンバーグ…とか安くて十分だったのに差額分無駄にした…などと考えるんだろうなあと思うので、いずれにしても私の選択は必ず後悔が付きまといます。

何の話だっけ。
人生というのは選択の連続の結果であるので、選択に直面した場面が多いのだろうなぁと思います。
そして「現代社会はそういう過酷な選択には迫られないですもんね」と言われた記憶があるのですが、私は実はそう思わなくて、共同体の空気と自分自身とで常にどちらか選ぶ選択を迫られているのではないかと思います。

例えば学生モノだとすると、イジメが起こった時ターゲットが可愛そうだ。こんなことはやめて欲しい、と思いながらも即座にそれを注意出来る人間は少ないのではないでしょうか。
やめろと声をあげることが一番だとは思いつつも、声を出すことが出来ない。
その時、自分の気持ちに従ってたしなめるか、それとも共同体の自分の立場を考えて見て見ぬふりをするか選択をするわけです。

その選択は私にとって生きるか死ぬかよりも生々しくて手が出せません。
例えば、その現場を目撃して、アンパンを食べていたとして、
「ああ、私はアンパンを食べるたびに、イジメられていたあの子と見て見ぬふりをした自分を思い出すのだわ」とそれ以降アンパンが食べられなくなったりとか、そういうリアリティがつらいんですよね。

そんなわけで、現実に即していると言っても適度に距離を取れて、傍観者として感情移入が出来る、そういう話を私は書いています。
「自分だったらどうするか」というお話であり「ああ、こういう状況私にもあったなぁ」ではないんですよね。きっと。

今のところ後者のお話を書くつもりはないのですが、もし気が変わって書きたいと思った時、私はどんな題材を持ってくるんでしょうね。





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