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アカシア年代記を更新しました。
https://blankblockmenu.wixsite.com/akasha


今回私は疑似歴史本を書かせていただきました。面白いから皆読んでね。

ツイッターに入り浸っているので、今年はもう少しサイトを拠点にするように移行していきたいなぁと思うのですが毎年言っている気もするな。

色々手を出しすぎていて、作品をまとめる場所がないんですよね。
難しいなぁ…。



今回更新したアカシア年代記3についてのモデルについて。
興味がある方は続きからどうぞ。







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>漫画拝見しました。映像を見てるような流れ~

見てくださってありがとうございます;ω;
手ブロ漫画から来てくださったのですね……。手ブロは自分で一番のびのびと自由に描けるツールだと思っています。凄く嬉しいです。映画のようにと言って頂けて光栄です。
これからも沢山描いていけたらなぁと思います。ありがとうございます><



>田中さん(万寿さん)を知ったきっかけとなったイラストが
わーい!嬉しいです!!恐らくあの絵のことだと思いますが、あの絵を描いた時は「ちゃんと漫画描かなくても良いじゃん! 好きな時に好きなことを書けばいいんだ!」と思いながら描いた記憶があります…。誰かに良いと思って頂けるなんてこんな幸せなことはありません…。
ありがとうございます!!><

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更新しました。

核家族の話です。
このお話は冒頭で血だらけの人が助けを求めているところから始まります。
この人は被害者なのか加害者なのか、誰が刺して誰が刺されたのか?
という謎は読んでいくうちに解けるかもしれないし解けないかもしれません。



このお話をなんで描こうと思ったのかイマイチ思い出せないんですよね。
さらっと描いていたっていうか…。
なんかこのお話、双子の話と合わせてもう一本描いたら切り刻む家族たちってまとめられるなって描きながら思った記憶はあります。
不穏すぎるテーマだ…。






タイトルの核家族ですが、
主人公は甘える息子であり父権的な父親であったけど、妻を慈しむ夫ではなかった。
女は自分を慕う息子の母親であり、権力を持った夫の美しき妻であったけれど、親から守られる娘にはなれなかった。
だからピースが揃わずに断絶してしまって、結局核家族なんですよ。

主人公が夫の役割もはたしていたら断絶は起こらなかった。
女が娘として守られていたら、こんなことにはならなかった。
ような気がします。恐らく…。




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水面下で進めていた企画が始動しました!!
【アカシア年代記】

元始からのすべての事象、想念、感情が

記録されているというその書物には

人を、時代を狂わせる

不思議な魅力があるという。


とある年代記を巡るオムニバスになってるんですけど、その年代記の詳細は不明、それを巡る人たちのお話です。
第一回目は私は漫画を、透さんは小説を投稿しました。
二人とも同じ年代記を扱っているはずですが、その様は少し違っています。
伝説上の物なのでそういう差異もありなんですよね。面白いですね。
これからチマチマと続く予定なのでどうぞお楽しみに~!!!

第一回目はこちらから読めるよ。
https://blankblockmenu.wixsite.com/akasha

サイトが恐ろしくオシャレだけど大丈夫です。とても分かりやすいデザインになっているので迷うことはありません。

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先日雑談イプをしたときに万寿さんの創作はどうしてあのように過酷な状況に立たされているのかという質問を頂きまして、私はヒューマンドラマが好きだからかなぁと答えました。

ヒューマンドラマとは映画のジャンルの一つなのですが、「どう生きるのか」をテーマにしていることが多いです。勿論「どう生きるか」だけではなく人間愛を描けばヒューマンドラマに当てはまると思うのですが。

で、どう生きるかというのはどういう選択をするのかというのが一番端的に描きやすいのではないかと思います。そう意識して漫画を書いていたわけではないのですが、改めて考えてみるとそういうことなんだろうなぁと。
私自身は優柔不断で、自分の決断にいつも自信が持てずに後悔ばかりしています。
そんな大層な決断ではなくても、ハンバーグではなくエビフライを注文すべきだったのではないか。少し高くてもあの文房具を選ぶべきだったのではないかなんてレベルのことすらずっと覚えていて、今度来たときは絶対にエビフライを頼もうなどと思っています。
でも逆を選んだとしてもああ、ハンバーグ…とか安くて十分だったのに差額分無駄にした…などと考えるんだろうなあと思うので、いずれにしても私の選択は必ず後悔が付きまといます。

何の話だっけ。
人生というのは選択の連続の結果であるので、選択に直面した場面が多いのだろうなぁと思います。
そして「現代社会はそういう過酷な選択には迫られないですもんね」と言われた記憶があるのですが、私は実はそう思わなくて、共同体の空気と自分自身とで常にどちらか選ぶ選択を迫られているのではないかと思います。

例えば学生モノだとすると、イジメが起こった時ターゲットが可愛そうだ。こんなことはやめて欲しい、と思いながらも即座にそれを注意出来る人間は少ないのではないでしょうか。
やめろと声をあげることが一番だとは思いつつも、声を出すことが出来ない。
その時、自分の気持ちに従ってたしなめるか、それとも共同体の自分の立場を考えて見て見ぬふりをするか選択をするわけです。

その選択は私にとって生きるか死ぬかよりも生々しくて手が出せません。
例えば、その現場を目撃して、アンパンを食べていたとして、
「ああ、私はアンパンを食べるたびに、イジメられていたあの子と見て見ぬふりをした自分を思い出すのだわ」とそれ以降アンパンが食べられなくなったりとか、そういうリアリティがつらいんですよね。

そんなわけで、現実に即していると言っても適度に距離を取れて、傍観者として感情移入が出来る、そういう話を私は書いています。
「自分だったらどうするか」というお話であり「ああ、こういう状況私にもあったなぁ」ではないんですよね。きっと。

今のところ後者のお話を書くつもりはないのですが、もし気が変わって書きたいと思った時、私はどんな題材を持ってくるんでしょうね。





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