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結構好き勝手書いてるよ 
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ブログを書かない気がするので、ちょっと書いてみようかな~などと思ったのですが、特に書くネタもなく。
思えば私は日記を書く事が大好きだったはずなのに、ツイッターに入り浸るようになってからは途端に更新が途絶えました。
自分のことを吐き出すことが好きなのには変わりないんですが……。

以前読者として感想を書くってことをしてみて、読み返してみたら面白かったのでまたやってみます。なかなかに恥ずかしい行為。

【巫者】
ご都合主義のハッピーエンドって言葉があって、ご都合主義のバッドエンドという言葉があって、私は良い悪い以前の単純な好みの問題として、前者は受け入れられても後者は受け入れられません。

全て“物による”という保険をかけたような言い方しかでいませんが、悲しい気持ちに対して無条件で娯楽性を感じないのかもしれません。ハッピーエンドに対してはバッドエンドよりは整合性が無くても入っていけるような気がします。

主人公を殺すことに娯楽性を見出し、それでは如何にも嗜好が駄々漏れなのでこういう理由で殺すのであって、楽しいから殺しているわけではないという理由づけをしている作品は、まぁこのように厭味ったらしい説明をしていることが物語っている通り、物にはよりますがあまり好きになることが無い作品です。
 
主人公がハッピーエンドを得る過程で死が通過点としてあったのか。
主人公の死をエンターテイメントとするために美しい過程を付与したのか。
私にとって前者と後者は全く違います。

これは一体どちらなんだろうか。
私はまず、そこが気になりました。すみません。作者の描きたかった・伝えたかったことはそこではないのかもしれませんので、もし読んでいたら不愉快になるかもしれません。申し訳ないです。


問題提起をされているのか、何かを投げつけられているのかどうか分からない作品は読んでいてストレスがかかります。

ただ、この話は私が主人公の死の扱い方をどう捉えればよいのか迷っただけで、何やら伝えたいことは感じる話でした。
この作品って、自我の死と肉体の死を別物に描いていて、主人公の少年は自我の方を高い位置に置いたのではないでしょうか。
 
最後の「死にたくない(肉体の死だって嫌だ)」というセリフを入れたことは、優劣をつけなければならない状況に置かれただけで、どちらも等しく大切なものだという意味に取りました。


自我は死んだ状態で肉体は生きている
自我は生かされたけど肉体は死んだ

優劣というよりは消去法の話なのかもしれません。
私は生きていてなんぼという話が好きですが、確かに、同じく不完全な生(死)だとしたらどちらを取るかは悩ましいですね。
どう生きるか、という話だと考えると私には相性の良い話なのかもしれません。
 
一番最初に述べたように、やっぱり私は死を先に持ってきたのか、後に持ってきて話を作ろうと思ったのか、いまだにどちらか分かりません。それによって私にとっては印象が大分変ってくるからくどい位留意してしますが、やはりよく分からなかったので、その疑問は一旦おいておきます。私にとって大事なことですが。二回言いました。


選択を強いられる人間に対して力強いと評価して良いものか分かりません。
自我と肉体どちらが尊いのか私には同じ状況にならないと多分選べません。

でも、なんか自我の方を選んだけれど、肉体だってもちろん大切に決まってるだぞ殺すぞって流れ好きだな。
うん。分からん。



主人公が選ぶことを強いられている一方で、正反対に迷いのない王子も良いキャラだったと思います。
ああいう善悪はおいておいても一本筋が通ったキャラが話に出てくるとほっとします。
私は出来るかどうかは別にして、その話を把握したいという気持ちが強いのか、分かりやすいキャラクターは安心してしまうようです。



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